第14回 ミニレクチャー: ジョン・ケージの音楽と心理療法―阪上論文を手がかりに
講 師:植田静
日 時:2025年7月28日(月) 19:00-20:30
場 所:オンライン
概 要:
20世紀中頃から活躍し出したジョン・ケージは、当時行き詰まりつつあった「近代音楽」に「死」をもたらし解放した、と多くの音楽家たちから評されています。
阪上正巳は、これをフーコーによる「人間の死」と符合して論じます(阪上正巳『ジョン・ケージの病跡 ―「音楽」の死と「自然」の生をめぐって―』日本病跡学雑誌79号)。「音楽」も「人間」同様近代の発明品であり、個性的人間の進歩と成長を求め自己表現として発展しますが、その獲得には、意味に還元不能でありながら主体に欠かせない真の存在の次元を失うプロセスを避けられません。
時代精神・音楽の行き詰まりと同時にケージは、生来の循環気質らしい「多者択一の強迫状況」と阪上が見立てる精神的な危機を、私生活や創作において経験します。その際に彼は「人間的」といえる近代的在り方からの思想的転換を図ろうとします。東洋的体験と思想の深化により、西洋音楽の構造的思考・時間の組織化の思考原理の相対化を試み、チャンス・オペレーションなどの偶然性や不確定性を作曲に導入することにより,音楽の操作・組織化をやめ,表現の主体たることを放棄します。阪上はその様態に、ケージの元の性向と正反対の統合失調症性を見出し、病跡学的に疾病論的交叉を彷彿とさせる実践が創造性への強度をもたらしていると指摘します。
かつてよくきかれた統合失調症性と躁うつ病性の創造性の議論も興味深いですが、このケージの「生きるために死ぬ」と言えるような絶えざる生成の様態を見せ、自然回帰のように見えながらも強烈な自己展開を推し進める実践について、レクチャーに参加される皆様と学んできた西洋・東洋の心理学議論との比較を含めて意見交換ができたらと思います。
不慣れな用語も多くありますが、ケージの音楽も聴きつつ、描画とはまた別角度からのアプローチについて考えてみたいと思います。